捕まってしまいました。

いや、べつに大罪を犯したわけではないのですが。バイクで増上寺のお墓参りから帰る途中、国道246号線*1右折禁止違反をやらかしてしまったのですよ。お巡りさんはチャリだったし距離もあったから逃げようと思えば逃げられたのですが。まぁ、それは不正義なので自己申請をして青キップ*2を切られるはこびとなったのです。お巡りさんと目も合っちゃったし。罰金払うことになっても、あとで「あ〜、悪いことした…」と思うのイヤですしね( ゜ー゜)
が、問題はそのあと。僕としては今後もR246は使うので、正しい通行方法をご教授願おうと思ったのです。再犯したらつまんないしね。でも、ど〜いうわけかお巡りさんキレるキレる。僕が反抗してるって言うならいざ知らず、正義と安全義務を追求しようとしているのにいい歳して怒鳴る怒鳴る。そんなに怒鳴って疲れませんか。血管切れませんか。心配です。怒鳴りついでにこう言い放ったのです。
「そんなもんはなぁ、自分の判断でやるもんなんだよっ!(`Д´#)」
この一言でカッチ〜ンと来ました。そりゃつまり「アナタは過ちを犯したので罰します。でもその過ちをふたたび繰り返さないための対処法は教えてあげません」って事かぁ!?
そんなおバカな話があるものかっ!
こちとらアメリカで免許取得してるから教科書に書かれていること以上は知らないんだぞ!あまりにも思慮に欠ける発言だったので急遽、路上演説をすることに。普段のプレゼンテーション生活がこういうときに役に立つのですf(´∇`;)

「(声を張り上げて、ジェスチャーも大袈裟に加えて堂々と言う→)真に首都圏の交通安全と被害者の減少を望むと言うのなら、運転者のみならず公道を行くすべての者の“安全意識の向上”は欠くことの出来ない命題である!単に違反者の罰則を効率化して検挙率の向上に執着するのみが、交通違反や事故を未然に防ぐことにつながろうか!?否!罰則に頼り切った安易な安全施策は、その罰則への恐怖に基づく消極的かつ対面的な安全意識しか生まず、結果、警察機構の監視の及ばぬ地域に於ける無謀運転の増長を促すのみである!検挙された違反者は警官に反感を抱き、怨嗟を込めて違反キップにサインを殴り書き、そして思うのだ。今後“あそこでだけは”警官に気をつけるとしよう、と。そしてその他の公道では今まで通りの無謀運転を繰り返すのだ!それが貴官らが二十数年の警官生活を費やして行ってきた安全施策だ!正義の名のもとに取締りを行使したにも関わらず、ただ疎まれるのみで成果も上がらず、感謝もされない!(ここから声のトーンを落として→)これが貴方たちの望んだ交通安全というものですか?あなた方が本当に安全な公道を望んでいるのなら、検挙をただ罰則する時間ではなく、運転者の意識向上を促す時間にしませんか?運転者の方から質問が寄せられたのなら、むしろ喜んで対応するべきとは思いませんか?たとえば研学精神をもって数学の質問をしてきた生徒を先生がむげに突き放すとしましょう。そんなもん自分で考えろ!と怒鳴るのです。運が良ければその生徒は自力で問題を解くかも知れない。でもたぶん多くの場合において、生徒は努力を放棄するでしょう。少なくとも数学を嫌いになるでしょう。先生を嫌いになったから数学も嫌いになったのです。その数学の先生は貴方です。今、貴方のせいで一人の生徒が道を失ったのです。貴方のせいで」

何度も中断されかけたから、実際にはもっと喋ってるんですけどね。要約するとこんな感じの演説をしたわけです。それでも文章にすると長いな〜 (;‐ Δ‐)こんな若造に「説教に限りなく近い」演説されてイヤだったろうなぁ。担当のひと、ものすごい顔して驚いてたけど周囲の目もあるからか態度を改めてくれました。その後はちゃんとオススメの正しい交通方法を教えてくれましたし。帰り道に他にもどことどこで取締りしてるから気をつけて、とまで言ってくれました(*´∇`*)指紋を採るときに指につけたインクも、ティッシュが無いと言ったら自分の手袋で綺麗に落としてくれたし。本質的に悪い人であるはずはないので、話せば分かってくれるとは思ってましたが。敬礼で見送られて道玄坂を後にしました。それは恥ずかしいからヤメテ!でも後悔しないで済んで良かった☆あそこで悪制に屈したらあとでメチャクチャ後悔するもん。もし道玄坂で大声を張り上げてる少年を見たら、それは僕です(笑)
あ、でも6000円の罰金は明日にでも振り込まなくちゃなぁ(;´Д`)

*1:道玄坂のすぐ近く。

*2:1点の加点と6000円の罰金です。