ちなみに僕は軍事ヲタクな人ではありません。

1950年代は宇宙開発競争の時代でした。アメリカを中心とする資本主義の世界と、旧ソ連を中心とする社会主義の世界は、互いの威信を賭けて“宇宙”を目指したのです。そして47年前の今日、1957年10月4日*1、旧ソビエト連邦バイコヌール宇宙基地チュラタム射場から、世界初の人工衛星を載せたロケットが天を割りました。人工衛星の名はスプートニク1号(Sputnik1=Спутник1)、ロシア語で「旅の道連れ*2」という意味です。
直径約58cmのアルミ合金製の球体に4本の長いアンテナを持ったクラゲのようなデザインの人工衛星は96.2分ごとに地球を1周し、電離層や大気層の観測データを電波で地上に送信しました。宇宙から発信されたビーコン信号は、地上の誰もが短波ラジオで受信することができたそうですから、その信号音を実際に聞いた当時の「宇宙少年」たちは狂喜乱舞したことでしょう。僕も聞きたかった*3o(>_<)o
こうして旧ソ連の技術力の高さを世界中に誇示したスプートニク1号は、発射から57日後の1958年1月4日、地球の大気圏に再突入して宇宙の塵となりました。今でも僕らの頭のはるか上では、スプートニク1号の塵が舞っているわけで。そう考えると、なかなかロマンチックですね(*´∀`*)

さて、旧ソ連アメリカを抑えて宇宙へ一番乗りしたというニュースは(旧ソ連による積極的な自己PRも功を奏し)世界中を駆け抜け、誰もが大アメリカ帝国の時代は終わったと確信しました。なぜなら、スプートニク1号の重量が83.6kgにも達していたからです。これは、当時アメリカで開発されていたロケットでペイロード*4可能な衛星の40倍以上の重量でした。
非常に大まかな定義ですが、「ロケット」と「ミサイル」の違いとは、搭載しているものが爆薬か否かに集約されます。衛星を積んでいればロケットですし、爆薬を積んでいればミサイルになるのです。スプートニク衛星はその後もいくつか打ち上げられましたが、いずれもR7型というロケットによって打ち上げられました。これは、元々は弾道ミサイル打ち上げ用に設計・開発されたもので*5、ミサイル(ICBM)として発射した場合の弾道距離は約12,000kmにも達し、3メガトン級の核弾頭を装備可能でした。もしこれがワシントンで爆発したら800万人のアメリカ人が死滅する計算になります〓(゜д゜lll)つまり、宇宙開発競争での勝利とは、旧ソ連の技術力の圧倒的勝利であり、同時に軍事力の圧倒的勝利でもありました。そして、米ソの軍事的バランスを崩壊させた政治的背景も含めて、このことをスプートニク・ショックと呼ぶようになったのです。
スプートニク1号の打ち上げ成功は、人類にとって初めての「宇宙からの地球観測」を意味し、宇宙だけでなく地球の謎の解明にも大きく貢献しました。今日の(あまり当たらない)天気予報や新薬の研究開発なども、この日に始まったのだと言っても過言ではないくらいです。しかし、それは同時に、人類が本格的な核戦争の脅威を背負い込んだ瞬間でもあります。現在、日本でも純国産のロケット・H2型の開発が進められています。もし開発に成功すれば、人工衛星の打ち上げはより安価に、より簡単になります。しかし、それが同時により安価な核ミサイルの大量配備につながりかねないという事を僕らも頭の片隅に置いておくべきかもしれません(´〜`)
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*1:日本時間では5日4時28分34秒になりますが。

*2:転じて「衛星」を意味する

*3:なんとアメリカのNASAのホームページで、当時スプートニク1号から受信したビーコンが聞けちゃいます!聞きたい人はこちらへ⇒

*4:【payload】ロケットの「最大積載量」のこと。

*5:正式名称を「R-7/SS-6/Sapwood」と言います。全長は約28m。ケロシンと液体酸素を推進剤に利用し、離陸時の推力は約396トンにもなりました。