おしらタイプ???

おしらさま

アキに教えられて『千と千尋占い』をやってみました。
三択十五問に心意を以って答えれば、あら不思議!
占いじゃなくて性格診断が出てきます(笑)
それでは、みちるの診断結果をご覧あれ☆

あなたはエレベーターに乗るおしらタイプさまです。
(え、「おしらタイプ」様なの?「おしら様」タイプじゃなくて?w)
……。…一見、なにを考えているのか分からないと思われがちなあなたですが、実際なにを考えているのか自分でも分かっていません。
(喧嘩売ってますか?w)
あなたについて多く語ることは難しいですが、気まぐれに人を助けたり、気まぐれなだけに勘が鋭く、ときに爆弾発言をしてしまうことがあります。
(会議中に「そもそも意味なくない?」とかですかw)
ただ、誰よりも嫌味なく爽やかな印象が強いので、多少のトラブルも笑って通り過ぎることのできるタイプです。
(そ、そうなの?知らなかった)

とまぁ、こんな感じで知られざる自分に出会えますよ( ^▽^)ノ


ちなみに、「おしらさま」については、以下を参照してね☆

『おしらさま』信仰
                                                                                                                                                              • -
青森、岩手の両県に残る“おしらさま”信仰も、馬産と深いつながりがあります。柳田国男著『遠野物語』によって全国的に知られるようになりました。最近では宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』にも登場しています。 “おしらさま”は、桑の木で作った男女二体。男の頭部は立てエボシ、あるいは折れエボシをかたどっていますが、もとは馬頭だったと言われています。女はお姫様。「馬姫婚姻譚」がイタコによって語られています。 物語の出所は古代中国の『捜神記』。どういう経路で青森のイタコに語り継がれるようになったか不明ですが、中世以降、奥羽地方に浸透した修験道と密着する遊行婦(ゆぎょうふ=歩き巫女)が、土着して残したものであることは確かでしょう。その語り口は、室町時代の説話文学の影響が感じられます。あるいは京か鎌倉あたりのくだけた僧が、『捜神記』の奇話の数々を口語訳して庶民に語り聞かせたのが起源かもしれません。 オシラ祭文の一例を要約すれば むかし「まんのう長者」と呼ばれた者に一人の姫君がいた。16歳になった姫君は、厩(うまや)につながれた栴檀栗毛(せんだんくりげ)の名馬を見て、あまりの見事さに「人間の身ならば一夜の契り込めべきものを」と、手にしたムチで三度なでた。するとその名馬は前ヒザを折って3度いなないたが、以後かいばを食わなくなってしまう。 長者が博士を呼んで占わせたところ、「姫君を慕っている」とのご託宣。長者は「畜生の分際で」とムチ打てば、馬は北に向かって3度いななき、舌をかみ切って死んだ。河原に引き出され、四本の杭につながれて晒し物にされた死骸を見た姫君は、「あな無残の名馬かな。いずこに去のうとも、我もろともに連れ行かばや」と6万遍の念仏唱えれば、たちまち名馬よみがえり、姫を乗せて天高く昇り行く。 傷心の長者が7日7夜の祈祷をすると、神のお告げで「3月16日になれば天から白い虫、黒い虫が降る。姫と名馬の生まれ変わりとして大事にせよ」と言う。さてその日、神風吹いて五色の雲たなびく中を、姫の遺愛の玉手箱が舞い降りる。開いてみれば白紙の上に姫の姿の白い虫、栴檀栗毛の姿を映した黒い虫。長者が銀のまないた、金の包丁で桑の葉を押し切り与えれば、やがて繭をかけて養蚕の道を教えてくれた。 “おしらさま”は、普段は厳重な箱の中に収められ、誰も目にすることができません。年に一度、小正月の1月15日になると、一族の女性が大人から子どもまで集まって“おしらさま”の顔に白粉を塗り、「おせんだく」と言って新しい布を被せるのです。毎年新しい布が被せられていくため、年月を経たおしらさまは何十、何百にも布を重ね着しています。 “おしらさま”を手にした巫女役の老婆(大抵は長老)が、一年の吉凶や失くし物のありかを占いました。白粉で化粧を施すのと、おせんだくをするのは、主に女児の役目。冬の寒い時期に囲炉裏を囲み、雑煮や鍋などをつつきながら行われるこの小正月の行事は、「おしら遊び」と俗称され、当時の女子どもたちの年に一度の最大の楽しみでした。 土地によって細部は変化するものの、名馬と姫が主役で、蚕がキーワードとなることは変わりません。“おしらさま”は、「山の神」あるいは「田の神」に対して「家の神」。また人と馬の恋慕譚や蚕の起源から「女の神」ともされています。“おしらさま”の祭文によって広まったことは、馬と養蚕という南部地方の農家における、主婦の副業とのかかわり合いを物語っています。