すっかりダマサレテいたのだけど。

ところで最近は美容室もオシャレなガラス張りの店舗がふえたせいか、伝統的な赤・青・白のトリコロールな回転灯を掲げているお店はあまり見なくなりましたね。
むしろ見かけると懐かしいとか思っちゃいますよネ(^-^)

さて、このトリコロール回転灯。正式にはサインポール(和名)と言います。
英語圏ではバーバーポールと呼ばれ、バーバー(barber)という英語はラテン語で「ヒゲ」を意味するbarbaから来ているそうです。

そのバーバーポール。どうして3色なのかというと、中世当時の理髪師は散髪のほかに外科医療も行っており、そこから赤=動脈、青=静脈、白=包帯の3色をとって理髪師の象徴とした、というウンチクが一般的ですよね。

ところがこのウンチク、ちょっとお話に無理があるのです。
欧州で科学的な外科医療が発達したのは中世以降、ほとんど近代に突入せんばかりで、ごく最近のことです。
欧州圏の人々が動脈=赤、静脈=青というような人体の知識を得るには、かの高名なダヴィンチがミラノのサンタ・マリア・ヌオヴオ病院の死体安置所で夜な夜な人体解剖を行い動脈硬化を発見する1490年代まで待たねばならないのです。*1

それまで人体解剖は宗教観念上タブーとされてきましたから、中世騎士物語の時代の人々が動脈=赤、静脈=青という発想を持っていたとは考えられません。

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では、あのトリコロールはどこから来たのでしょうか?
中世の医療行為に由来しているのは間違いないようです。
当時の理髪師(理髪外科医というそうです)は患者さんに対して瀉血<しゃけつ>という処置を行っていました。これは主に腕から悪い血*2を抜くという行為で、宗教的な意味合いの方が強かったようです。

この瀉血。処置中の患者は手に棒を握らされていました。腕から流れ出た血液は、棒を伝って受け皿へと落ちるような仕組みになっていましたが、この棒は血が目立たないように最初から真っ赤に染められていたそうです。
瀉血が済めば、当然流れ出る血を止めなくてはいけません。ですが当時、包帯はとても高価なもので、何度も洗っては再利用していました。そしてこの洗った包帯を干すのに使われていたのが、前述の患者さんが握っていた赤い棒でした。
しかも当時の人の干し方はとっても非効率的で、今のように横に渡した棒に包帯を掛けるのではなく、地面に突き立てた棒の先端に包帯を結びつけるというものでした(釣竿みたいな感じ?)
こんな干し方ですから当然、風に吹かれて包帯が棒に巻きついてしまうことも。当時の理髪外科店の軒先には、白い包帯が巻きついた赤い棒が立ってるのが当たり前だったようです。
つまりこれがバーバーポールの原型というわけですネ♪


話を理髪店のシンボルに戻しましょう(^ー^)
それまでお店の目印として店頭には血を集める受け皿が吊るされていたのですが、1606年には「気持ち悪いから」禁止され、代わりに紅白のポールが使われるようになりました。逆に言えば中世の時代では、まだ3色のシンボルは存在していなかったという事でもありますね★
こうして紅白ポールが理髪外科医のシンボルになったようです。

ではトリコロール兄弟の末っ子・青はどこから来たのか?
1745年のイギリスで、理髪外科医は理髪師と外科医のそれぞれの組合(ギルド)を設立して、職業的に別離します。
生粋の理髪師と、純血の外科医の誕生ですね(^ー^)
そこでこの2つを区別するために、理髪師はトリコロール、外科医は紅白の看板を掲げるようになったそうです。
つまり、赤十字の紅白シンボルも元を正せば理髪師との離別の段階で派生したものだったんですね。

すでに「定説化」したような事でも、調べてみると新たな発見があるものですね(^ー^)/〜*

*1:ちなみにこの時、ダヴィンチは病院の隣のミラノ大聖堂ドゥオモにて有名な「最後の晩餐」の制作中でもありました

*2:血液の善し悪しの区別方法はなかったようですが